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慣例の行事は本当に意味があるのか

「例年通りで。」
「また今年もよろしく。」
「では、来年も引き続き」

このような理由で継続されている行事はありませんか。

確かに、例年通りは楽ではある。
今や、行事の関連文書はファイル化されて
日付だけ書き換えれば、どうにかはなる。

「去年はどうでしたか。」
「それは去年のファイルを見れば。」

いたって楽である。
何も考える必要が無いので。

かつてはたくさんの行事が行われていた。
有意義なものもたくさんあった。

しかし、あるときから叫ばれ始めたのが

行事の精選

その名の下に、たくさんの行事が消えていった。
有意義かどうかはあまり議論されず
これはしないわけにはいかないだろうという
選択肢から残った行事が現在行われている。

当然、それらは生徒を育てるのに有意義なことが多く
そのことを通じて集団が成長していくことも明らかである。

そこまで否定するつもりはない。

ただ思うのは
教師も生徒もみんな辛い思いをしながら、
そこに意義をみいだせないまま続いている行事もある。

それにピリオドを打つのはいったい誰なのだろう。

民主主義の国であるならば、全ての意見を聞いた上で
聞いた上で
聞いた上で

とりやめるべきではないですか!

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