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話し合い活動?

授業や、授業の指導案、学級活動、委員会活動などで
「話し合い活動」をしなさいと言う。

話し合いは、そんなに簡単にできることではない。
一例を挙げれば、職員会議で議論が交わされ、よりよい結論が常に得られるであろうか。

子どもたちに、「話し合いなさい。」と簡単に言う教師は多い。
しかし、「なかなか話し合い活動になりません。」と言う教師も多い。

それは、当たり前のことである。
生まれたときから、コミュニケーション能力があり、相手の気持ちを考えながら
自分の意見をどんどん話していけるのであれば、可能である。

残念ながら、それはあり得ないことで、話し合いをするためには、様々なことを
身につけなければならない。
いわば、話し合う訓練を繰り返さなければならないのである。

その条件とは、
まず、話し合うためのルールをみんなが理解していることである。
他人の意見を笑ったり、いきなり否定したりしない。
どんな意見でも必ず取り上げる。
勝手に自分の意見だけを主張し続けない。
などのルールである。

次に、最小単位の班やグループで、意見をまとめることである。
似た意見を一つにし、違う意見は違う意見としてまとめる。
それができたら、代表者が発表することである。

発表者が意見を述べているときは、そちらを向き、意識を集中して聞くこと。

全ての意見が出そろったら、それらを比較検討し、よりよい意見にしていくこと。

集団としての話し合いができること。

こういった、一連の手続きをみんなが身につけるためには、繰り返し繰り返し、
話し合いの訓練をしなければならない。

それをせずに、「話し合い活動ができない。」と言うのは、教師の怠慢でしかない。
自らの指導不足を、子どものせいにしているに過ぎない。

叱れない教師、叱らない教師

最近叱らない教師、叱れない教師を見かけることが多い。

なぜだろう。

何かを勘違いしている。

叱るとは、怒鳴ることではない。
大声を出したところで、子供たちはびっくりするだけである。
言いたいことは全く伝わらない。

そのあたりを間違ってはいないだろうか。

叱るためには、大声は邪魔である。
伝えたいこと、分かって欲しいこと、ここが間違っているよということを
正確に伝えるのに、大声はいらない。
むしろ、小声でそっと話す方がよい。

「静かにしなさい!」
と怒鳴って、一旦静かになったとしても、翌日には
「静かにしなさい!」
と怒鳴っていることであろう。

教師はそこを知らなければならない。

大切なのは、なぜ静かにしないといけないのか、
その状況や場所などを分からせることである。

様々なことが交錯して、結局のところ
「困ったもんだ。」と弱り果てている教師をよく目にする。

「困った。」と言えば、子どもが変わるのであれば、
これほど簡単なことはない。
何回でも「困った。」と言うだけで良いのだから。

しかし、現実にはそんなことは起こらない。
そこに欠如しているのは、子どもたちとの関わりである。
廊下で見かけたときに、ちょっと声をかける。
いつもと違った表情をしていたら、声をかける。
嬉しいことをしたときは、「ありがとう」と言う。

考えてみれば、普通の日常生活の中での、
普通の人間関係ではないだろうか。

そこに気づかないと、教師自身も変わらないし、
ましてや、子どもは変わるわけが無い。

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