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ゴミ箱のゴミ

非常勤講師として勤務していた頃のことである。

「お先に失礼します。」
と、席を立った直後に
「ゴミ箱のゴミも捨てずに帰るのか!}
と、先輩の教師に一喝された。

「分かりました」
と答え、すぐにゴミを捨て、退庁した。

確かにおっしゃるとおりで、
足下のゴミ箱のゴミは自分が出したゴミである。
自分で捨てなければ、誰が捨てる。

みなさんの職員室の小さなゴミ箱のゴミはいかがですか。

自分で捨てている。
当番の教員が捨てている。
掃除当番の生徒が捨てている。
だれか、気がついた者が捨てている。

どれでしょうか。
どれが正しいでしょうか。

昨日は掃除がなかったから

ある朝いつもより1時間ほど早く出勤した。
職員室のドアを開き、電気をつけた。

目の前には、平積みにされた書類
高層建築を思わせるような席後ろの本や教材

まあ、これはいつもの風景なので気にはなるけれど軽くスルー

ふと足下に目をやると
床のあちらこちらに
二穴パンチの丸い紙が
シュレッダーで裁断された紙の切れ端が
机の下に丸まったわたぼこりが

そうか、
「昨日は掃除がなかったからなあ。」

掃除機を持ってきて、それらを吸い取った。
吸い取りながら考えた。

「昨日は掃除がなかったから。」

「昨日は掃除がなかったから?」

掃除がなかったら、職員室は汚れていても仕方がない?

何かおかしくはないか?

よく教師は、クラスで言う。
「君たちが使っているクラスだから、君たちできちんとした環境にするべきだね。」

そのとおり!

では、職員室を使っているのは誰?
職員室を汚しているのは誰?

「昨日は掃除がなかったから。」
そんなのは言い訳に過ぎないのではないか。

自分たちが使う職場の環境整備は、自分たちの責任ではないのか。
自らの反省も含めて、改めて考えさせられた。

みなさんの職員室はいかがですか?
「昨日は掃除がなかったから。」と言ってはいませんか?

タグ:掃除 職員室
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「キレる」ということ

「キレる」という言葉をよく耳にする。
教師はそのような言葉を使っていなかったように記憶しているが、
最近は
「あの子はすぐキレるから、どうしようもない。」
「キレたら手が付けられない」
このような言葉を聞くことが多くなった。

しかし、私は「キレる」という言葉を使わない。

「キレる」とはどういう状態を指して使っているのだろうか。

暴言を吐く、物に当たり散らす、けんかを売る、大声を出してわめきたてる、暴力を振るう…

様々である。
しかし、そのどれをとっても、行動を指し示しているだけで、本質を表していない。
ある大学教授が
「それは結果でしかありませんから。」と一言で片付けた。

そのとおりである。

結果をあげつらっても、問題の解決には至らない。

そういう行動に至るまでに何があったか。
そして、その一つひとつを分析し、
根底にある原因を見つけ出さなければ本質的な解決にはならない。

教師が言う「キレる」は
単なる愚痴でしかない。
問題を全てひとくくりにして、本質を見つめようとしない。
そんなことを繰り返しても、全く前には進まない。

生徒が変わるわけがない!

「困った困った。」と言っていれば生徒が変わるなら
これほど簡単なことはない。
もしそうなら、100回でも1000回でも言えばよい。

そこに欠如しているのは、関わり合いである。

関わり合うとということは、結構難しいしエネルギーを使う。
大人同士の関わり合いなら、関わり合いたくなければ無視すればよい。

しかし、生徒は体は大人、心は子どもと大人の真ん中くらい。
これほどつきあいにくい相手はない。

要するに、面倒くさいのである。

人は面倒くさいことはやりたくない。
できれば避けたい。

しかし、教師がそれをしなくなったら、
果たして教師と言えるだろうか。

医者が患者を前にして、面倒くさいと言って許されはしないだろう。
弁護士が面倒くさいと言ったら、相談にきた者は呆れてしまうだろう。
コンビニの店員が無愛想だったら
会社の受付が、しかめ面をしていたら

頑固親父のラーメン屋で、職人気質の店主がいる店がはやるが
それは特別なことである。

面倒くさがるのはプロとして失格である。

タグ:教師 教育
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忙しいという教師

「もう、私は忙しくて忙しくて、このままだと倒れそう。」
どの職場にもいる。
こんなことを言い続けるひと。

「みんな忙しいんだよね。」
と、心の中でつぶやく。

ある人がこう言った。
「あなたはピンクレディーか!」
「寝る間もないし、食事する間もないんか!」

そこまで忙しくはなかろう。
もしそうなら、学校現場は
ブラックだ!

気持ちはわかるけど
どこか聞こえないところで
叫んでくれ!


教師面

教師が生徒の前に立ったら
生徒は言うことをきくものである。

そのような幻想を
信じてやまない教師が多い。

そんな時代は30年以上前に消えている。

考えてみれば簡単なことだ。

教室で授業が始まる。
「さあ、教科書の56ページを開いて。」
一斉に、教科書が開き、生徒は教師の方を向いて次の指示を待っている。

まるで、軍隊だ。

このようになることを期待し目指しているのは正しいのだろうか。

ある時代を懐かしみ、その時代の指導が、是であるかのごとく振る舞うなら
間違いである。

生徒一人ひとり人格を持ち、違う個性を持っている。
その集まりである学級なり学年に対して、一言、指示を出せばとおるだろうか。

生徒との人間関係を、信頼関係を築き、集団を育ててこそ、指示がとおる。
指導が成り立つ。

そのことをせずして、生徒を攻めるのは間違いである。
職務放棄といってよい。



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