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「キレる」ということ

「キレる」という言葉をよく耳にする。
教師はそのような言葉を使っていなかったように記憶しているが、
最近は
「あの子はすぐキレるから、どうしようもない。」
「キレたら手が付けられない」
このような言葉を聞くことが多くなった。

しかし、私は「キレる」という言葉を使わない。

「キレる」とはどういう状態を指して使っているのだろうか。

暴言を吐く、物に当たり散らす、けんかを売る、大声を出してわめきたてる、暴力を振るう…

様々である。
しかし、そのどれをとっても、行動を指し示しているだけで、本質を表していない。
ある大学教授が
「それは結果でしかありませんから。」と一言で片付けた。

そのとおりである。

結果をあげつらっても、問題の解決には至らない。

そういう行動に至るまでに何があったか。
そして、その一つひとつを分析し、
根底にある原因を見つけ出さなければ本質的な解決にはならない。

教師が言う「キレる」は
単なる愚痴でしかない。
問題を全てひとくくりにして、本質を見つめようとしない。
そんなことを繰り返しても、全く前には進まない。

生徒が変わるわけがない!

「困った困った。」と言っていれば生徒が変わるなら
これほど簡単なことはない。
もしそうなら、100回でも1000回でも言えばよい。

そこに欠如しているのは、関わり合いである。

関わり合うとということは、結構難しいしエネルギーを使う。
大人同士の関わり合いなら、関わり合いたくなければ無視すればよい。

しかし、生徒は体は大人、心は子どもと大人の真ん中くらい。
これほどつきあいにくい相手はない。

要するに、面倒くさいのである。

人は面倒くさいことはやりたくない。
できれば避けたい。

しかし、教師がそれをしなくなったら、
果たして教師と言えるだろうか。

医者が患者を前にして、面倒くさいと言って許されはしないだろう。
弁護士が面倒くさいと言ったら、相談にきた者は呆れてしまうだろう。
コンビニの店員が無愛想だったら
会社の受付が、しかめ面をしていたら

頑固親父のラーメン屋で、職人気質の店主がいる店がはやるが
それは特別なことである。

面倒くさがるのはプロとして失格である。

タグ:教師 教育
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