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できなかったらどうするんですか

ある委員会活動の話し合いの中で

委員会の目標が決まった

すぐに
1年生から
「できなかったらどうするんですか」
「漢字100回書くのがいい。」
「いや、次の日も当番をすればいい。」

思わず
「何かをしようという話し合いをしているのに、
なぜできなかったときのことを話し合うんですか。」

「あ、そうですね。」
「その通りですね。」
二人ほど反応があった

なかなかやるのお

指導が交わる

「生徒の指導は交わらなければならない、
重なり合うような指導をしなければならない。」

そう言われてきた。

ずっと
それは
正しいと信じて実行してきた

つい先日
給食の準備中
一階の廊下に
カレールーの斑点を見つけた
その点は曲線を描いて階段に続いていた

追っていくと教室に向かっていた

顔を上げると
ティッシュを握った校長と顔が合った

「重なった」

久しぶりの感触

おもわず
「ありがとうございます。」
と言ってしまった。

すぐ、側にいた生徒を促すと
4,5名の女生徒が
「私も行ってみます。」とティッシュ片手に
下りていった。

「よかったなぁ」

思った。

クリエイトよりリペアの方が

クリエイトは
ひらめいたことを表現すればよい
何の制限もない。

それほど難しいことではない。

リペアは
難しい
元のクォリティにしなければならないという
難しい制限が課されているから

しかし、
自虐的かもしれないが
リペアは
制限があるだけに
達成感がある

そこがまた
楽しい
タグ:創造 補修 自虐

なぜ壊れたまま使い続けるのですか

帰り際に
玄関が土で汚れていたので
近くの掃除道具入れから
ほうきとちりとりを持ってきて
掃き取り、そとの花壇に捨てた。

ふとちりとりを見ると
右端に大きな亀裂が入り
今にも決壊しそうである。

洗って、拭き取り、補修用テープで補修した。

なんで道具をこんな状態のまま使い続けるのか
誰か最初に割れかけたときに直せばよいのに
掃除道具の点検もしているはずなのに
ほうきもよれよれ
つりさげ紐もばらばら

美しさは機能美につながる
掃除道具入れが汚れていて
能率のよい掃除はできない。

みなさんはそうは思いませんか

物は直せばよいが心は直せない

「なぜ壊れた壁をそのままにしておくのか!」
と若い頃、校長に言われたことがある。

「いや、分かってはいるのですが…」
「壁の穴は、すぐ直せるだろう。
直さなかったらそれを見た生徒の心は
痛み続けるのだから、直しなさい。」

あれから30年余りが過ぎた

今もそう思う

早く直してやらねば
それが
たとえ卒業生の仕業であったとしても
在校生のしたことであっても
今すぐすべきだと

それをしないと
やがて生徒の心は痛みを感じなくなる

壁に穴が開いていても気にならない
誰も直そうとしない

壁に穴が開いているのは普通なのか

没頭する。教室周りの補修

とある週休日
朝8時頃に職場に向かった。

目的は
教室周りの補修

いろいろと気になっていたのだが
諸事情から
後回しにしていた

今年こそはと思っていた

作業向けの格好で車に乗った
いろいろ準備はしてあったので
職場につくなり作業にかかった

まずは、トイレの掃除道具入れのぶち抜き穴
掲示物でごまかしていた

次はトイレのタイルの割れ
パテで補修する

次は机の穴や溝
長い間に浸食をうけ
そのまま放置されていた
これもパテ埋め

続いて、掲示板の壁紙補修

最後に教室床の踏み抜きそうな割れの補修
こいつが結構手強かった
いい加減な直し方では
逆に踏み抜いて怪我させてしまう
少なくとも、10年以上は踏み抜かないように
補修をしなければならない。

気がつくと午後3時を回っていた。

まあ、自分は物作りが好きで
物の修理もとても好きである。

直して結局使わない物だとしても
直す過程が楽しい

いつも話しかけながら
考えながら
道具は何がいるかな
接着剤は
ネジかな釘かな
ドリルかなキリかな
そんなことを考えながら
物を直しているときが一番楽しい

死んだ母によると
どうも赤ん坊だった頃からそうだったらしい

熱を出してぎゃーぎゃー泣いていても
枕元に小さい農機具用エンジンを置くと
泣き止んだらしい

ほんまかいなと思うが
間違いないとも思う

今回の補修は
生徒が気づかないことが目標である。

それが楽しみでもある

気づく生徒がいるかな

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